パリのしあわせスープ 私のフランス物語
世界文化社は、パリ在住の人気料理研究家・上野万梨子氏初の書き下ろしエッセイ「パリのしあわせスープ 私のフランス物語」を2020年10月23日(金)に発売した。
上野万梨子Profile
東京生まれ。学生時代より料理研究家の飯田深雪氏に師事。料理家を志し、パリに留学する。1976年、ル・コルドン・ブルー・パリ校を卒業。77年東京の実家でフランス料理教室「ラ・ヌーベル・イマージュ」を主宰。それま
でのフレンチの重厚なイメージを一変させ、軽やかに家庭でフレンチを楽しむ時代への新しい流れをつくった。基本に支えられた自由な発想、シンプルかつ繊細なレシピが人気を博し、雑誌・TVなど多くのメディアで活躍。91 年、パリ左岸に活動の拠点を移す。以来、日本とフランス、二つの国をつなぐ、食と生活文化の橋渡し役として活動してきた。本書は30年目を迎えようとするフランス暮らしを改めて振り返る著者初の書き下ろし随筆となる。
80年刊『いま、新しい食卓を―シンプルフランス料理』(文化出版局)を初著書として、料理書を多数刊行。翻訳・監修に『パリジャンのレシピ』(アレクサンドル・カマス著、文化出版局)など、またフランスでは『WA-fumi, a larencontre des saveurs du Japon』(Flammarion)、『bouchees exotiques』(EpA)を出版している。『小さなフランス料理の本』(NHK出版)、『プチプチサラダ、つぶつぶタブレ』(誠文堂新光社)、近著に『アペロでパリをつまみ食い』(光文社)がある。
instagram@ueno.mariko.official
パリ在住のカリスマ的料理研究家・上野万梨子氏初の書き下ろしエッセイ「パリのしあわせスープ 私のフランス物語」
料理研究家の上野万梨子氏といえば、ル・コルドン・ブルーを卒業後、それまで重厚なイメージだったフランス料理を家庭料理に普及させたとして、1980年代にカリスマ的人気を博したまさに「時代の寵児」ともいえる存在。
1991年に拠点をパリ左岸に移した後も、日仏をつなぐ、料理を中心にしたライフスタイルを執筆・発信するなど、唯一無二の料理研究家として今も信奉者が絶えない。
「パリのしあわせスープ 私のフランス物語」は、パリ生活30年の上野万梨子さん初の書き下ろし料理エッセイで、「パリのしあわせスープ 私のフランス物語」執筆は2020年春から夏、コロナ禍で外出禁止令のパリで行われた。
料理をすることが一番幸せな時間ということを再発見できた、という著者渾身の1冊となる。
在仏30年、パリ暮らしのエッセイとレシピを書き下ろし「パリのしあわせスープ 私のフランス物語」
クレープ・オ・シュクル、ウ・マヨネーズ、ステーク・タルタル…パリといえば、やっぱり「美食の街」のイメージを持つ方も多いのではないだろうか。
本エッセイ「パリのしあわせスープ 私のフランス物語」では、パリのカフェの定番料理や、地方料理にまつわるエピソードが満載。
また、「フランス料理は家庭料理が一番おいしい」という上野氏らしく、“おうちで作るにはこんな方法で”という料理メモもついていて、パリのカフェや上野氏のキッチンを覗き見しているようなしかけになっている。
わずか数ユーロの単なる茹で卵のマヨネーズソースがけが、一皿50ユーロの舌平目のムニエルや牛フィレのロッシーニ風を置いているレストランのカルト(お品書き)に、一見不釣り合いな感じで載っていることがある。カフェのカウンターに並べられて客待ちするウ・マヨ、一皿10ユーロ以下でメイン料理
が食べられる大衆食堂(ブイヨン)には欠かせないウ・マヨ。それがよいお値段のレストランやビストロにあったら、それはその店が、クラシックの流れを汲んだ料理をサービスするところと考えてよいはずだ。
(第2章 夜明けのオニオン・グラチネ「ウ・マヨネーズの存在価値」より一部抜粋)
「パリのしあわせスープ 私のフランス物語」目次
1章 たんぽぽの綿毛
マリコちゃん、料理の先生になる
2章 夜明けのオニオン・グラチネ
パリは本当に美味しいのか?
3章 ご当地サラダの真実
頑固さんの地方料理を巡る話
4章 家庭料理はポポポのポ
本当に美味しいものは家にある
5章 キッチンの裏窓から
人生の歌が聞こえるパリ・アパルトマン暮らし
6章 パリのしっぽ
役者が揃った街で生き生きと暮らす
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