ラーメンを初めて食べたの水戸黄門じゃなかった説
日本で初めてラーメンを食べたのは水戸黄門だったという説を覆す資料が見つかり、その資料が7月14日から新横浜ラーメン博物館でパネル展示される。
これまでの最も古いラーメン記録は、江戸時代の僧侶が記した「日乗上人日記」で、1697年に水戸黄門が「明の儒学者・朱舜水から伝授された麺を自分で作って家臣に振る舞った」と記されていた。
1980年代後半ごろから「黄門=初ラーメン説」が定着し、1993年には、当時の味を再現した「水戸藩らーめん」が水戸市内でご当地ラーメンとして発売されている。
今回、見つかった資料によると室町時代の1488年に京都の僧侶らが「経帯麺(けいたいめん、ラーメンの一種)を食べた」と明記されている。
その室町時代の僧侶の日記「蔭涼軒日録」の記述では、1488年に作者が中国の書物「居家必要事類」)のレシピを参考にして「経帯麺」を調理し来客者に振る舞ったと書かれている。
中華麺の定義とは、かん水を使用していることにあり、「経帯麺」のレシピをみると「小麦粉とかん水が材料」と明記されており、ラーメンと認定される。ただし、同書物には「かけ汁は任意でどうぞ」と書かれており、どんなスープや具だったのかは謎のまま。博物館の担当者は「室町時代の食文化などを総合すると、シイタケや昆布、梅などを混ぜたダシをかけて食べていたのではないか」と推測している。
今回の新事実判明は、日本そばなどを開発する「株式会社イナサワ商店」の会長で、都内在住の稲沢俊之さん(79)が博物館へ情報提供したことがきっかけだった。
稲沢さんは「麺文化を調べるために『蔭涼軒日録』を詳しく読んだら、経帯麺のことがバッチリ書いてあって…。ビックリしましたよ」と興奮気味に語っている。
実際にレシピ通りに「経帯麺」を製作すると「たおやかでソフト。スープの味が麺に染み込む感じでおいしいですよ。硬い麺が主流の今のラーメンとはひと味違いますし、現在でも十分通用する」と太鼓判を押していたようだ。