タイポグラフィ論攷
2009年第二回本木昌造賞受賞の板倉雅宣氏著書の「タイポグラフィ論攷」が朗文堂から2017年6月19日に発売された。
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〔著者 まえがきより抜粋〕
「本木昌造の呼称」これは本木昌造の読みが、「もとき」か「もとぎ」かという問いかけにこだわって、調べたもので、長崎歴史文化博物館、神戸市立博物館、江戸東京博物館、長崎史談会等々を調査し、東京大学史料編纂所のイサベル・ファン・ダーレン女史にも声をかけて、本木昌造の自筆欧文サインの発見に協力をいただきました。本木昌造の祖父の代までは「もとぎ」のサインがみつかり、親の代から「もとき」と名乗っていることがわかったという記録です。
「本木昌造 長崎ゆかりの地」は、2009年に、タイポグラフィ学会の本木昌造賞を戴いた時に会場で配布したもので、2003年9月に朗文堂の片塩二朗氏と長崎を訪ねたときに巡ったときの写真を添えてあります。この時の受賞記念メダルには「MOTOGI」と刻印されています。
「『學問のすゝめ』活字版」は、東書文庫に全冊が収蔵されているのと、同じく東書文庫に所蔵されている『文部省雑誌 第一号』(明治7年1月刊)と、『学問のすすめ』初版の活字版の活字サイズが同じであることから調べ始めたことです。福沢諭吉と親交のあった芝神明前の尚古堂の岡田屋嘉七が関係したのかもしれません。
「ギャンブルが作った日本語かな活字」明治初年に日本政府から要請を受けて、上海美華書館のウィリアム・ギャンブルが鋳造活字の製法を本木昌造に伝授しました。フルベッキとヘボンのやりとりが興味深いと思われます。美華書館のウィリアム・ギャンブルを招聘した経緯は後藤吉郎氏が「長老派教会歴史協会」で「アメリカ・プレスビテリアン教会・海外伝道会記録」のマイクロフィルムを調査されていますが、一部を公表されていますが、詳細は不明です。日本政府から$.5,000.を受け取ったとかいう記録が公開されるのを楽しみにしています。
板倉雅宣Profile●1932年東京上野生まれ。1957年千葉大学工学部工業化学科印刷専攻卒業。東京書籍株式会社入社。1990年東京書籍印刷株式会社常務取締役。1994年東京製版株式会社社長。1999年退任。受賞:2007年感謝状(印刷図書館)。2009年第二回本木昌造賞(タイポグラフィ学会)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)