遊びある真剣、真剣な遊び、私の人生 解題:美学としてのグリッドシステム
20世紀を代表するグラフィックデザイナーであるヨゼフ・ミューラー=ブロックマン氏著書、佐賀一郎氏監修, 村瀨庸子氏翻訳によるヨゼフ・ミューラー=ブロックマン氏の貴重な肉声からデザインの意義やデザイナーの責任と自由をとらえ直す一冊「遊びある真剣、真剣な遊び、私の人生 解題:美学としてのグリッドシステム」がビー・エヌ・エヌ新社から2018年5月24日に発売される。
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「デザイナーとしてどう生きるのか」
20世紀を代表するグラフィックデザイナー、ヨゼフ・ミューラー=ブロックマンの貴重な肉声から、デザインの意義、デザイナーの責任と自由をとらえ直す一冊
ヨゼフ・ミューラー=ブロックマンは、スイス派を代表するデザイナーの1人であるとともに、ポール・ランド(アメリカ)、ブルーノ・ムナーリ(イタリア)らと並び称される
20世紀、戦後を代表するデザイナーの1人である。
彼が残した数々のポスターやCI/VIなどのグラフィックデザイン各領域での実作。
レイアウト手法として原典的な評価を確立した『グリッドシステム』をはじめとする著作の数々。
スイス派の存在を世界に知らしめた国際デザイン誌『ノイエ・グラーフィク』の発刊。
アスペン会議、世界デザイン会議・東京など、世界各国で行った講演活動。
学科長を務めたチューリッヒ応用美術学校や、ウルム造形大学、大阪芸術大学など、世界各国での教育活動。
その〈実作〉〈著作〉〈教育〉にわたる業績の数々によって、
ミューラー=ブロックマンは、第2次世界大戦後において、グラフィックデザインの方向性を指し示す歴史的役割を果たした。
本書では、ミューラー=ブロックマンが、動乱の20世紀において、何をデザインの主眼としたのか、どのようにデザイナーという職業に向き合っていたのかが語られる。
また、デザイン史家の佐賀一郎(多摩美術大学)による解題、「美学としてのグリッドシステム」では、ミューラー=ブロックマンがデザイナーとして社会と結んだ関係を、俯瞰したデザイン史のもとに考察。
『グリッドシステム』の概要、技術解説をふまえつつ、背景にある理念と表現を一致させようとした、ミューラー=ブロックマンの美学をひも解く。
これまであまり知られていなかった妻である芸術家吉川静子と、たびたび訪れていた日本との密接な関わりにも言及している。
【目次】
日本語版序文
原書序文
自伝:遊びある真剣、真剣な遊び、私の人生
作品:ポスター 1951~1994
解題:美学としてのグリッドシステム
・デザイン史とミューラー=ブロックマン
・ミューラー=ブロックマンと吉川静子
・グリッドシステムの技術と表現、美学
資料:年譜、参考文献
あとがき
ヨゼフ・ミューラー=ブロックマンProfile●Josef Muller-Brockmann 1914~1996
1950~60年代にかけて隆盛したスイス派を代表するグラフィックデザイナーのひとり。
当初はイラストレーションを主軸に置いていたが、1950年頃にサンセリフ体と幾何学的フォルムを用いた構成的デザインに作風を大きく転換。
冷静かつ理知的でありながらも独特の明るさと分かりやすさを備えるデザインは、具象から幾何学的抽象へと進んだモダンアートとグラフィックデザインの関係、そしてデザイナーが社会でとるべき中立的立場を規範として示した。
デザイナーとして活動するかたわら、教育活動にも注力し、チューリッヒ応用美術学校グラフィックデザインコースの科長(1957?60年)、ウルム造形大学講師(1962?63年)を務める。
60年代から70年代にかけては日本でも特別講義・展覧会などを行った。
1970年代に入ると、デザイナーとして長年培った経験と方法論をもとに著作活動にも従事、
特にビジュアルデザインにおけるグリッドシステムの技術、理念をまとめた1981年の著書Grid Systems in Graphic Design(グリッドシステム)は、今なお世界中で参照され、
原典的な評価を確立している。
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遊びある真剣、真剣な遊び、私の人生(仮) 解題:グリッドシステムの美学 [ ヨーゼフ・ミューラー= ブロックマン ]
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